美鈴が丘学区と本校創立当時からの概要
 
 
 美鈴が丘は広島市の南西に位置し、佐伯区の東にある。車で西区田方側からトンネルを抜けると、周囲を緑に囲まれた明るい住宅街が開けてくる。ここが、「美鈴が丘団地」である。
 広島市のベッドタウンとして、昭和43年(1968年)10月、美鈴が丘開発事業が着手され、昭和53年(1978年)3月、現在の東3丁目に百棟の入居者でスタートした。
 山に向かってゆるやかに傾斜している住宅街の標高は、海抜100m〜200mの間にあり、夏は涼しく冬は平地部より寒い。
 交通機関は、市内中心部にあるバスセンターと約30分で結ばれる路線バスをはじめ、五日市駅やアルパーク行きなども運行している。
 団地内は整然と区画され、東・西・南・緑の4つの街区からなり、メイン道路と住宅内の道路に分かれていて閑静な住宅街である。
 連合町内会の組織がしっかりしており、理事長を中心とするコミュニティづくりや、三世代交流をめざしたまちづくりのための諸活動が活発な地域である。地域住民の教育に対する関心は高く、文化・生活・社会に対する意識も高い。
 
 美鈴が丘小学校は、地域の方々・PTA・関係者の熱意とご協力により、昭和56年(1981年)4月1日、教職員23名・児童603名・16学級をもって五日市町立美鈴が丘小学校として創立された。
 「広報」みすずによると、美鈴が丘小学校開校前は、児童は5q 離れた八幡小学校にスクールバスと徒歩で1年間、さらに八幡小学校から分離した八幡東小学校に2年間通っていたと報じている。
 本校の開校により、当時長距離通学をしていた子どもたちは、自分たちの地域の学校をもつことになり、喜びも格別だったようである。
 昭和60年(1985年)には、広島市との合併により、校名が 「広島市立美鈴が丘小学校」と改められた。その後、団地の開発による入居者の増加にともない、児童数・学級数も増え続け、平成2年(1990年)には児童数1457名・40学級と、市内でも有数のマンモス校に発展し、校舎の増築・体育館やプールの建設や緑化による環境整備など、目を見張る成長を成し遂げた。
 地域の方々・歴代の校長先生・教職員・PTAの深い教育愛のもとに、平成12年(2000年)には、創立20周年を迎えた。記念式典をはじめ、記念誌の発行・記念大運動会・航空写真撮影などの記念事業を盛大に終えることができた。
 開校以来一貫して、「人間性豊かな実践力のある子どもの育成」をめざし、この美鈴が丘地区の大地に根ざした教育の創造を積み重ねてきた。
 今後の本校教育の推進を考えて行くうえで、少子化・高齢化は深刻な問題である。
 平成2年(1990年)をピークに、児童数・学級数は減少する一方である。
 平成23年(2011年)5月1日現在の児童数は、412名・学級数は16学級である。  

児童数は減少傾向にあるが、創立以来守られてきた伝統を大切にしながら、今後は21世紀をたくましく生きていくことができる子どもたちの育成をめざし、PTA・地域との連携をさらに深めていかなければならない。新たな躍進を期し、本校がさらに発展していくよう、生き生きとした活力ある学校づくりに専念していきたい。