豊永さんはいろいろせんそうのことを教えてくれました。せんそうのおそろしさをたくさん言っていました。59年前,豊永さんは9才でみんなとほぼ同じでした。豊永さんは運が良くて家族は助かったそうです。豊永さんのお母さんはとてもやさしい人だ思いました。わけは,豊永さんのおとうとをかばって自分がやけどになって,水を知らない人にあげて 自分は飲まずがんばって家まで行ってすごいと思います。

それに,豊永さんのお母さんがもし弟をかばわなくて,豊永さんがそのときもし家にいたらこのせんそうの話は聞けなかったと思います。豊永さんは今でも元気そうでした。

もう絶対,豊永さんは86日のできごとを忘れることはないと思います。

原ばくのせいで服がぼろぼろでやけどをうでや手などにして,顔が真っ黒になった人はかわいそうです。

 わたしは,豊永さんに平和のバトンをもらったので,ぜったいにせんそうはいやです。

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622日に豊永さんの話を聞いて,ぼくは原子ばくだんをとてもおそろしいものだと思いました。ぼくは,せんそうをもう絶対にしたくないです。

ぼくがはじめて知ったことは,原ばく手帳というものがあるということです。

質問の時にほうしゃのうはとってもわるいものだということが分かりました。しつ問はすべて分からないことだったけど分かってうれしかったです。

 原子ばくだんのことがとっても分かりました。
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